なんというか、たいして一年更新せずに2014年を迎えてしまいました。
はたして私の2013年とはなんであったのか。
ただまぁ、いろいろと良き出会いがあったのは確かでしょう。
アイも変わらず面白可笑しく一年過ごさせていただいた。
振り返るとこの2013年何があったって考えると、
たいして大きなことはない。
臨床の先生たちはみな、
「クライエントや対象者と面と向かって応じるということは、自分自身と対面するということだ」
と口をそろえて言う。
後期の適応指導教室での心理科の実習は、まさにまさに、
否が応にも、見たくなかった自分自身と直面せざるを得なかった。
私は、実習やインターンや留学やボランティアや、そういった、
何か「トクベツな経験」をした人たちが、
とても勉強になりました!
この経験は私の人生にとってなんたら!
子どもが好きだって再認識してなんちゃら!
みたいな感想を書く人たち、すごいなぁって思ってた。
私が1年次の観察実習で感じたのは子どもが苦手だということ、
3年次の教育実習で感じたのは他専攻の人との熱意の違いと劣等感。
まぁ教育系には向いていないとは思っていたさ。
確かに子どもはかわいいさ。
蛇の子でも子どもの内は可愛いんだよとは、
「天の瞳(灰谷健次郎)」の用務員のおっちゃんの言葉だったか。
それこそ小学生の頃から、灰谷健次郎に熱中し、宗田理にハマり、
雁字搦めの中高生活を経て教育についてはあの頃からいろいろと、
そう、実にいろいろなことを考えて来た。
でもだからこそ、あぁ私にはこの空気、ついていけないなと思うたわけなのです。
あぁ話がそれたな。
つまるところ今まで私にとっては実習なんてものはただただ苦痛で退屈なものだったわけで。
でも今年のSC実習は、
なんというか、自分の観たくなかった、出したくなかった、
出さないようにして抑えて来たいろいろな嫌な感情を全て、
客観的に積極的に強制的に観察しながら変換していかなければならなかった。
それらを受け止めるだけならいいですよ。
だが、それらを踏まえた上で、現実と自分に折り合いをつけて、
それでも屈折しないように、対象を向き合ってすり合わせて、
とにかく、神経を使った。
というか、場に慣れ過ぎてしまっていたからこそ、
後から思い起こしてズドンとへこむ、
そんなのの繰り返しで終わった。
何が得られたかなんて聞くまでもない、
もう自分のダメなところ嫌いなところ全部が見えて来て、
SVや中間報告、自主報告、事後指導と、
他人の前で話す機会があるたんびにみんななぜそんなに上手くやれるんだと、
びっくりしたし、へこんだね。
もうそれをひた隠しに隠すためにとにかく頭と舌をまわすんだよ。
それらが終わった後には毎回、穴が無くとも地の底に自身を沈めたくなってた。
対人援助職向いてないんじゃないかって思う。
正直聖人君子になるつもりなんてサラッサラないですし、
他人よりも自分が大事だし、
あぁだけどほっとけなかったりするけれど、
それだってもしかしたら他人が作った私の虚像に私自身を嵌めこんで納得させているだけなのかもしれなくて、
とまぁいろんな感じで落ち込んで
まぁどうせ考えてもはじまらないですし目の前の課題をかたずけませう、
と、
卒論と向き合い受験に項垂れる近頃です。
なんのはなしだっけ。
そうそう、
だからそういう、
「トクベツな体験」をした人たちが明るくきらきらと希望に満ちた感想を抱けるのってまじすげぇっておもいましたまるってこと。
やー、これこのままSC実習の感想裏表4Pにブチ込んでもいいんじゃね?
手書きってとこがイタダケナイよなぁ。
私自分の字はとても嫌いなのだよ…
さて、もう何が本題なのかも良く解らないのはこのブログの毎度のことだけれども。
こうして自分自身の嫌なところを眺めつつ、
相変わらず何処に居る自分自身が一番正しい私自身なのかを検索できずにいます。
どこかでも書いたのだけれど、
Aという私、
Bという私、
Cという私、
私のいろんな面をいろんな人が認識してくれているのだが、
A+B+C+…+r の私を認識してくれるのは誰なのでしょう。
私自身は、このひっくるめた私を知ることができない。
ジョハリの窓によれば、そのすべてを知る人物は存在しないはずなので、
きっと何人たりともrまで加えた私の姿を認識することのできる人はいない。
でも、私のアイデンティティの破片は、他人を介してようやく自分で認めることができる。
今回の実習のようにね。
ということは、「私のアイデンティティ」なんてものは、破片の集合体でしかなくて、
その破片「A」「B」「C」が、ゆるくて脆い結合でかろうじて繋がっている感じかな。
この状態はまるで、
アイデンティティの拡散というよりは、アイデンティティの骨粗鬆症。
アイデンティティ粗鬆症。
全部をひっくるめて1つ、として全体を見ることはできないのだけど、
いろんなところに散らばった鏡の破片に映し出されたモノを見て、
それらをなんとなく頭の中で組み立てて、
ようやく全体像を予測する、といった感じだろうか。
しかも、それでもなおまだ私には私の全体像を見ることができない。
そうなると、
私の箱の中身を一目に収めることができる、なんてひとはいないわけで、
だからこそ、
いろんな人に対して偽り欺き見せつつそれらをまたアイデンティティの破片に加えることが、
できるのだろうなぁ。
拡げていくよ、どんどん拡大させるよ。
可能性は無限大!
よくあるサムい言葉だけど、全くほんとにそのとおりだよ。
結局のところ、
私自身の真相も、
あなた自身の真相も、
誰にもわからずじまいのまんま、いつか死んで忘れられる。
人間の生死がとても、とても無駄なことのように感じられる、
と悟ったような事を、眠い目を擦りながら、
キーボードを叩いて締める2014年最初の一日でした。
日付変わってるし。
明日の朝に、投稿しとくよ。
Photo by Kiss X3
県庁前歩道橋